杉樽ヒストリー・・・その①
こんにちは。いつもありがとうございます。
今日は赤間醸造の命や誇りともいえる杉樽のお話です。
赤間醸造は創業以来一貫して杉樽のみでお醤油の元である諸味(もろみ)を発酵・熟成させています。
私が子供のときは武久町にみそ工場、今浦町に醤油工場と分かれていましたが30代になった頃、(下関市をはなれていたのではっきりはしないのですが)
今浦町の醤油工場を閉鎖して武久町のみそ工場と合体しました。
その時も杉樽を全て運んで武久町に持っていったわけですね。
古いので壊してプラスチックやホーローにしようとはしなかったのです。
こうして武久町のみそ工場に、ある意味ムリして杉樽を入れたので、
足場も悪くいろいろな作業をするのに不便な環境にはなっていました。
(この足場の悪さは後々作業に響いてきます。)
時は流れ6人の娘はすでにそれぞれ他県へ嫁いでいましたので、
跡継ぎのいない父は工場長に後を託そうと……。
しかし頼みの工場長も胃癌で短い間に亡くなってしまいます。
既に80代半ばにさしかかっていた父は
「お客さんが1人でもいる限り辞めない。命の続く限りやっていく」と思ったと後日私に話しました。
この言葉は私の中にあとあとまで深く残りました。
年齢と状況を考えればその時廃業しても親族も何もいわないという状況だったと思います。
私の知る限り、この時が会社の歴史の中で一番苦しかった時ではないでしょうか。
(本当は戦中戦後など苦しい時は山ほどあったと思いますが。)
でも本当の大変さはこれからでした。
後を継ごうと入った六番目の娘は呆然としました。
たった1人の従業員とうなぎの寝床状態の蔵の奥に、手入れが行き届かず真っ白に産膜酵母の繁殖した杉樽の数々…。
何だ、コレ…。
いったいどうすればいいの…。
つづく